ジョウビタキのこと
 ジョウビタキが日本へ渡ってくるのは10月中下旬です。
そのために晩秋から冬の景色の中にいる姿が連想され、日本画や詩歌の情景はほとんどこの季節を表現しています。

 ジョウビタキのジョウは「尉」、銀髪のこと。
雄の頭の色で連想したものでしょう。
ヒタキは「火焚き」で、火打石をたたく音を思わせるカタッ、カタッ と聞こえる音を、尾羽を振るわせる時にだすところから、呼ばれるようになっていったもののようです。

 雄の頭の羽毛は、秋の換羽の後に生えてくるのは、白色の羽毛の先端外縁部分が灰褐色をしています。
そのため秋には灰色に見えたり、うすく斑にみえたりします。
この外縁部鶲鶲分は、生活している間に擦り切れるというか、折りとれてしまい、内側の白色が表に出てきます。
秋は銀髪なのですが、繁殖期を迎える頃には真っ白な白髪になっています。
秋は尉鶲ですが、春夏は老鶲でしょうか。
この鳥は、しっかりした林の中で見られることはほとんどありません。
住宅や農家の周辺、農地と林の境あたり、川の近くなどが生息環境になるでしょう。


 北京郊外で始めて繁殖期の姿を見たのは5月下旬でした。
農家の庭先の果樹に止まって囀っていました。
その後、バイカル湖やアムール地方でも何度となく繁殖期の彼らに出会ってきましたが、いつも農家の庭先や、林を伐り開いて造った畑でした。日本と全く同じ環境です。
ジョウビタキは、繁殖地でも越冬地でも同じ環境を選択して生活しているようです。

 ロシアの農家にもテレビのアンテナが各戸に立てられていますが、屋根の上にアンテナを立てるポールの中ほどに巣箱が架けられている家がいくつもありました。
日本でしたらシジュウカラかスズメが使いそうですが、アムールではジョウビタキのために架けているのでした。
[PR]
# by torinowa | 2006-12-11 10:50 | 鳥の話
トキの生息地
 中国にある秦嶺山脈は陝西省の西安の南側に、東西400kmにおよぶ、標高4000mをこすほどの高山のある山脈です。大熊猫(パンダ)の野生の生息地にもなっています。
 秋の秦嶺山脈北側の黄河流域(西安郊外から宝鶏までの道路の両側)は行けども行けども玉蜀黍畑です。宝鶏から南下した山脈の中の集落ではかわを剥いた玉蜀黍を下げて干している、その橙黄色がとても綺麗です。最後の峠を越す辺りには、橙桃色の菊の仲間が沢山咲いています。野生のシュウメイギクです。山脈の北側では見られずに南側で見られているのは、土の水分量に関係があるのでしょう。この辺りは揚子江流域ですし、山脈を抜け、漢中へ出てからは、洋県までの道の両側はずっと水稲が作られています。
 
 この気候的な条件、それによる土地利用の違いが、この山脈の北側ではなく、南側にトキが残っていた理由でしょう。山の中の水田に依存していたのは日本のトキも同じでしたから、その理由は食糧です。カエル類、小魚類、バッタ類などを主食にしているからです。
 それに、競争相手になるサギ類が少ないことも餌の確保には必要だったため、平野の湿地や水田地帯はサギにとられてしまって暮らせなかったので、山の中の水田に依存していたのです。
 農薬に劇的な効果をみつけた農家は、作物の増収のために使い続けることでしょう。高い効果をもった農薬が、人の生命まで脅かしていたことを知らされる以前の日本でも、しっかり使い続けられていた例を知っている者としては、中国での農薬の使用が始まったばかりのことを考えると、将来のどこで止むのかを判断することは極めて難しく、野生のトキの保全が出来るか否かは、ここにかかっていると 私は思っています。
[PR]
# by torinowa | 2006-12-01 10:34 | 鳥の話
「鳥の話」の筆者、信天翁。
柳沢 紀夫(やなぎさわ のりお)

 1941年東京都生まれ。東京農業大学造園学科を卒業後、財団法人日本鳥類保護連盟に勤務し、現在に至るまで一貫して野鳥の保護に努めてきた。
 昭和48年サントリーに愛鳥キャンペーンを行うよう助言し、その後10年以上に渡り監修・指導を続けた。その後も図鑑類の出版や子どもの雑誌の監修、ラジオ・テレビ・新聞コラムなどを通して、鳥についての知識の普及や保護を訴えている。
 新潟県佐渡のトキ、鹿児島県のマナヅル・ナベヅル、山口県のナベヅル、埼玉県のシラコバト、埼玉県野田の鷺山、新潟県の瓢湖の白鳥などの委員会委員として保護についての意見を述べ、保護に努めてきた。また、環境省をはじめ文化庁、経済産業省や東京都、千葉県などの委員として自然環境保全や鳥類保護に協力している。
 環境相「猛禽類保護の進め方」や「Red Data Book 鳥類」の委員としても参画。
 財団法人日本鳥類保護連盟 理事(保護担当)。
 日本鳥学会、日本哺乳類学会、環境教育学会、野生生物保護学会会員。

主な業務実績
1979-80 大井埠頭中央海浜公園(東京都)
1979-82 国営昭和記念公園 水鳥の池(建設省)
1987-89 座間谷戸山公園(神奈川県)
1987 みやぎのみぢり・21計画(宮城県)
1996 神奈川県広域緑地計画(神奈川県)
1996-97 きらら浜自然観察公園(山口県)
2000 鷹取川環境調査(横須賀市)
2000 白水越地域環境影響調査(新エネルギー財団)
2001 平和公園生物モニタリング調査(千葉市)
2001-02 成田空港鳥類調査(臨空開発整備⑭)
2003 英彦山地域環境共生推進計画(福岡県)
2003 狭山丘陵環境調査(埼玉県)
[PR]
# by torinowa | 2006-11-01 07:15 | 筆者:信天翁
お盆休み
 お盆休みを利用して一週間ほど、アラスカへ野生の鳥を見に行ったことがあります。この旅行でもっとも楽しみにしていたのは、東京湾に沢山やってくるキアシシギの繁殖地はどんな場所なのか、を知りたかったことでした。アンカレッジ周辺の自然の中で、オオモズにモビングをかけるベニヒワとか、キレンジャクのなわばり主張飛行の姿、夕暮れに聞くアカエリカイツブリの囀り、夢中で顔の模様をみていたアメリカムシクイ類、マガンの渡りのはしり、カナダヅルの求愛のダンス、並んで泳いでいくヒナを連れたナキハクチョウとか、手漕ぎボートで追いかけたハシグロアビ‥‥など、120種余もの鳥は見てきたのにキアシシギには出会いませんでした。
 帰路の飛行機の中、見てきた鳥たちの様子の余韻にひたりながら、キアシシギが見られなかったのはなぜかを考えていて、はたと思い当たったのは、お盆の頃には東京湾に沢山渡ってきているではないか、でした。アラスカの自然と鳥に圧倒されてしまって、キアシシギは8月末から9月初めに、その年の最高羽数が記録されているのを忘れてしまっていた、お粗末でした。その年の8月末、江戸川放水路河口干潟はキアシシギの鳴き声で満ちていました。
[PR]
# by torinowa | 2006-09-01 08:12 | 鳥の話
8月は夏ですか
 夏至から40日、梅雨の明けるのが遅かった今年もようやく8月になりました。それにしても良く降りましたね。東京の7月の降水量は昨年の290mm余ほどにくらべ今年は300mm余り。ほとんど違いはないのに、この印象の強さは何でしょうか。もう一つの統計、日照時間では昨年の45%ほどしかなかった由。曇天続きで、雨がいつ降るかも知れないという不安と、被災した長野県、福井県、熊本県、鹿児島県などからのニュース画面で見たり聞こえてきたりするものが一緒になってしまって‥‥、なのでしょうか。
 8月の声を聞くと、渡り鳥のなかでも長距離旅行者であるシギ・チドリ類が東京湾でも何種類もが記録されます。7月最後の日曜日に利根川河口の波崎や霞ヶ浦南東部の浮島へ出かけましたが、メダイチドリ、コチドリ、シロチドリ、トウネン、イソシギ、タカブシギ、クサシギ、キアシシギ、ハイイロヒレアシシギなどこの仲間が幾種類も見られました。中でイソシギが5~6羽ですが群をつくっていたのを見て、しばらく振りに思い出したのが、イソシギ、コチドリなど近隣で繁殖しているものたちは、その年の秋の渡りの最高羽数が7月の末頃に出現するということです。その後は続々といろいろな種類が渡来します。1960年代後半、夢中になってシギ・チドリ達と付き合っていた頃に得られた結果のひとつです。
 7月がすでに渡り鳥たちの移動が行われているのですから、8月が夏だなんてとても思えません。鳥の暦では秋の真っ最中なのです。
[PR]
# by torinowa | 2006-08-05 09:11 | 鳥の話
ツバメにとっての秋
 前号での話題、電線のなかった時代は、ツバメはどこに止まっていたのでしょうか。の答は、巣の近くではむき出しになった木の枝や屋根の上だったでしょう。また巣立ってからは、多く水辺の木の枝やヨシなど高い草の先などです。
 ところでツバメをはじめ鳥たちは、空を飛び回ることが出来るので、自由な生活の象徴のように考えられ、古くから人々から羨まれてきました。しかし、本当に自由に生活しているのでしょうか。
 渡り途中の奄美大島では8月末頃、奄美市名瀬港町の○○ガソリンスタンド前の電線を30羽ほどが毎晩塒に使っています。沖縄では北の国頭村の大字○○字××のサトウキビ畑に塒しています。生きていれば同じ個体が、同じ場所を利用してフィリピンやマレーシアまで渡っていると思われます。越冬地も熱帯の国の○○市の何通りと何何通りの交差点の北側の電線で塒しているとか、きっちりした点です。繁殖地も昨年その巣で繁殖した親鳥か、その巣で育った子鳥が、生きていればその巣へ帰ってきます。
 つまり、渡り鳥は点から点へ移動しているばかりで、しかも途中の経由地点も決まっているようで、本当に自由気ままにあちこちへ出かけているわけではないのです。標識調査の成果でいろいろなことが判ってきていますが、行き先が判らなかった時代の方が、夢があったのかなーと言えるかも知れません。
[PR]
# by torinowa | 2006-07-30 07:09 | 鳥の話
ツバメの塒
 ツバメの今年2回目の子育て、がそろそろ終了した頃と思われます。ツバメといっても北海道から沖縄まで全体に分布域を持っている種はいませんから、地方によって異なる種をそう呼んでいる可能性があります。沖縄ではリュウキュウツバメ、北海道ではイワツバメやショウドウツバメ、本州~九州ではツバメとコシアカツバメ、を呼んでいると思われます。この中で一番分布が広いのはツバメです。腰は黒く、白でも赤茶色でもありませんし、腹は白色でうすい茶色でもなく細い縦縞のない、これがツバメです
 巣立ったツバメの雛は、1~2日は巣を使って眠ることはありますが、その後は戻ってきません。一家で近隣の河原や海に近い葦原などに移動します。葦原には近隣のあちこちからツバメが集まってきて、夜の塒にしています。こうして集まったツバメは、昼間は水辺近くで餌を探し、夕方葦原の中に潜りこんでいきます。大きな塒では、数万羽を超えることさえあり、一斉に短時間のうちに潜りこむ様子は、なかなかの壮観です。
 ところでツバメの止まり場所としてよく知られている電線・電話線は、明治になってから設けられたものです。それ以前、電線はありませんでした。江戸時代のツバメは休むときはどこへ止まっていたのでしょうか。
[PR]
# by torinowa | 2006-07-25 07:07 | 鳥の話